※2026年1月4日追記:大河ドラマ「豊臣兄弟!」の第1回放送を見て、9年前に中村公園を訪れたことを思い出し、この記事を再公開します。情報が古いですが、ご了承ください。

私はもともと、大河ドラマに全く興味がないです。

これまで旅ランと関わりの深い年もあるので、その時は1、2話くらいチラ見。でも、あまりにもひどすぎて即脱落…。正直、私の好みではありません。

でも、くしくも昨年(2025年)、大和郡山も訪ねています。何かの偶然を感じます。

とりあえず、第2回も観てみます。

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名古屋ウィメンズマラソンの

旅ラン日記は、あと2回。

 

 

ゴールが見えてきました。カメ

 

 

連載のテーマは↓です。ニコニコ” alt=”メモ” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/131.gif” />

 

【1】EXPOブースのようす

【2】EXPOステージのようす  

【3】名古屋で買ったもの・もらったもの

【4】愛知名古屋の“地のもの”を求めて 

【5】スタートエリアのようす 

【6】応援ありがとう~フィニッシュエリア 

【7】名古屋生まれの戦国武将を訪ね歩く 

   ~豊臣秀吉、加藤清正、佐々成政~

【8】古き良き寺町と開運スポットを走る
   ~大須、円頓寺エリア~

 

 

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旅の1日目(3/11)の午前中と

3日目(3/13)の丸一日をかけて、

 

名古屋生まれの3人の

戦国武将の出生地

 

名古屋市中村区、西区の

一エリアを訪ね歩きました。ニコニコスポーツメモ

 

 

史跡や文化施設巡りは、

子どもの頃から好きなこと。

楽しみにしていました。ニコニコ巻物音譜

 

 

まず一人目の出生地は…

 

 

巻物豊臣秀吉(中村区)

 

 

日本人ならだれでも知っている、

言わずと知れた“出世人”。

 

 

しかし、出自や人物像を確証する

史資料がかなり乏しく、

ほとんど謎と考えられています。

 

 

 

貧しい農民の家に生まれたこと、

いわゆる“人たらし”な性格など、

 

長年、大衆娯楽の中で

描かれてきた秀吉像の大方は、

 

おもに江戸期以降の

見せ物、読み物によって

創りあげられたもの

※『絵本豊臣勲功記』 秀吉清正記念館 蔵

 

 

織田信長についても、

数十年前の言説に依るものが

大きく…

 

と、書き始めたら

きりがないので、やめます。(^^ゞ

 

 

 

秀吉の出生地説は

伝説を含めて多数あり、

 

近年の学術研究では清州説

有力視されているようですが、

 

今回はなかでも有名な中村説

2つ取り上げました。

 

 

場所は、名古屋駅から

地下鉄東山線で4駅。

 

中村公園駅の周辺です。

※見にくいですが、2つのの箇所が、

出生地説の場所です。

 

 

中村ゆかりの豊臣秀吉と

加藤清正の出生地については、

 

区の市民観光ボランティアさんに

お願いして、

 

約3時間、史跡を巡りながら

教えていただきました。ニコニコメモ

 

ていねいなお話を本当に

ありがとうございました。ニコニコ

 

 

 

★出生地説1 中村公園内

 

江戸時代、ここは「上中村」と

言われたところで、

 

公園内に、ここを出生地とする

記念碑があります。

 

 

<背景>

●「寛文村々覚書」(江戸期)などの

古文書に出生地と記してあり、

明治期に県令がここを出生地と制定

 

 

公園内には、豊臣秀吉を祀る

豊国(とよくに)神社があります。

 

秀吉の生誕年は、現在、

天文6(1537)年2月6日

酉年とする説が有力。

 

参拝客が次々と訪れていました。

 

 

 

中村公園に隣接する常泉寺

 

慶長15(1610)年、

加藤清正が秀吉を祀るために

創建したと言われています。

 

秀吉の生誕地を記した石碑や

「秀吉産湯井」が残っています。

 

立像のほか、

 

「秀吉手植の柊」もあります。

 

 

 

★出生地説2 中村中町2丁目

 

石碑や看板はありませんが、

ここを生まれた地と記す古文書や

関連する伝説がいくつか残っています。

 

 

 

<背景>

『太閤素性記』に、出生地は

「中々村」とする記述がある

●↑の場所に、秀吉の実父とされる

弥右衛門(弥助)の家があったとされる

●秀吉が若い頃、この付近で

村の人々のために宴会を催したという

伝説が残っている(大盤振舞跡)

 

 

どちらにしても…

 

 

この中村界隈で生まれたことを伝える

文書や口承が数多く残っていることは、

間違いないようです。巻物キラキラ

 

 

 

” alt=”本” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif” />中村図書館・秀吉清正記念館

 

ガイドさんに会う日は月曜日の休館日。

なので、2日前の午前中に訪れました。

 

 

国や自治体、大学の研究機関や

文化施設でなくても、

 

小さな図書館や資料館に

知られざる、おもしろい史料が

あったりします。ひらめき電球

 

こちらの記念館では珍しく、

企画展を頻繁に行っています。

 

 

秀吉の自筆書状も数点展示。巻物

 

文書を読み、筆使いを空でまねて、

古の偉人の素性に迫ってみました。書道

 

 

書道羽柴秀吉書状(1581年3月)

 

織田信長の近習に宛てたもの。

 

信長が京都で盛大に催した馬事に

姫路城築城のため参列できないので、

詳細を伝えてほしい、という内容。メモ

 

 

書道羽柴秀吉自筆掟書(1585年11月)

 

正妻のねねに宛てた私信。

数多く残っているそうです。

 

 

もし私があなたに口答えしたら、

一晩縛り付けていいですよ。

 

 

やわらかく自由な筆致と、

奥方へのユニークな気遣い。ラブレター

媚び”ともいう…?( ´艸`)

 

よくドラマで描かれる

ねねに頭の上がらない秀吉の姿は、

 

こういう私信の数々に

由来するのかもしれません。( ´艸`)

 

 

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巻物加藤清正(中村区)

 

 

清正の出生地と言われる妙行寺

常泉寺のそばにあります。

 

 

清正が名古屋城築城の折、

余材を生かして再建したお寺で、

 

ここで6歳まで過ごしたと

されていますが、

実は定かではないようです。

 

銅像があります。

 

 

加藤家の蛇の目紋の下に、

九州平定の際に改易された

讃岐尾藤家の桔梗紋を重ねています。

 

 

ガイドさんのお話しによると…” alt=”本” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif” />

 

清正は、旧尾藤家の武具を受け継ぎ、

残された家臣もそのまま登用したとか。

 

旧来の家臣と分け隔てなく接し、

人望を集めたようです。” alt=”アップ” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/173.gif” />

 

 

昨年、熊本より

現世に降臨中の加藤清正公が

妙行寺にお成り遊ばしたとか。くまモン

 

 

たしか名古屋城にも…。” alt=”目” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/242.gif” />

 

 

 

…やっぱり二人いる。( ´艸`)

…クリオネみたい。( ´艸`)

 

 

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戦国武将ではありませんが、

もうひとり注目を。ひらめき電球

 

 

歌舞伎2初代 中村勘三郎(中村区)

 

こちらも言わずと知れた、

江戸歌舞伎の開祖と言われる

歌舞伎役者。

 

 

ガイドさんのお話によると…” alt=”本” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/240.gif” />

 

故・十八代目中村勘三郎さんが、

ご先祖様がこの地の出身だと

語っていたそうです。

 

といっても、

 

それを示す文書などが

家に残っているわけではなく、

代々にわたる口伝とか。

 

 

若い時分に秀吉を演じられたのは、

何かのご縁かもしれませんね。ニコニコ

 

 

中村公園の奥に、

中村家の発祥を伝える生誕像

新たに建てられるそうです。

※先月13日現在の予定地。

 

 

来月5月28日、

生誕像の建立式典が行われ、

 

豊国神社の参道で、

中村勘九郎さん、七之助さんによる

お練りも行われるそうです。

 

勘九郎さんもお父様と一緒に、

秀吉の役を演じられていました。ニコニコ

 

 

瓜をもっているのは、

肥前名護屋城のエピソードの

伏線?” alt=”かお” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/142.gif” />

 

七之助さんは、のち徳川家康を。ニコニコ

 

…合ってますね。ニコニコ

 

 

 

ちなみに、のちの織田信長は…

 

 

のちの“アメブロMVPアメーバ”。( ´艸`)

…たしか今年の〇河ドラマも同じ役を。( ´艸`)

 

 

 

ゆくゆくは、中村座の歌舞伎公演も

行われるかもしれませんね。ニコニコ歌舞伎2

 

 

ところで…

 

なぜ初代は尾張から江戸へ

上ってきたんだろう?” alt=”かお” width=”16″ height=”16″ data-src=”//stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/142.gif” />

 

 

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巻物佐々成政(西区)

 

 

織田信長に重用され、

短い任期でありながらも

常願寺川の治水事業に尽くした

越中富山の名君。とやまくん

 

 

曹洞宗 光通寺(比良城址)の

敷地内に石碑があります。

 

佐々家の城跡を示す掲示板。

 

石碑への入口。

 

 

佐々家はもともと浄土真宗とのこと。

近隣の上小田井にある長善寺が、

毎年5月に法要を行っているそうです。

 

近くに15軒の檀家さんがあり、

佐々家の菩提を弔っているとか。

 

 

曹洞宗のお寺の敷地内に、

浄土真宗の名家を祀る場所が

あるという、

 

ちょっと不思議な空間…。

 

佐々成政の供養塔。

 

NHK大河ドラマ「利家とまつ」の

放送時に建てられたもので、

 

当時は観光バスが立ち寄るほど

多くの人々が訪れたそうです。

 

 

と、以上のお寺の話は…

 

たまたまお寺のそばにいた、

近所の檀家のおばあちゃんが

ていねいに教えてくれました。

 

ありがとうございました。ニコニコ

 

 

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名古屋の歴史を巡る旅で

出合ったものの多くは、

 

創られた歴史の足跡と、足あと

知られざる史実の断片。巻物

 

 

これからも、

歴史の読み解きと訪ね歩きを

楽しみながら、ひらめき電球

 

貴重な史料や文化財の

研究と保存に力を尽くしている

 

良識ある研究者、学芸員、

行政の職員、郷土史家のみなさん、

 

まちの文化遺産を受け継ぐ

地元のみなさんなど、

 

全国の知られざる歴史の守り人を、

陰ながら応援したいと思います。芽

 

 

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長文・駄文を

最後までお読みいただき、

ありがとうございました。aya

 

 

次回は最終回。

4月23日(日)に更新予定です。aya

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yurikamome
ランニング歴16年のゆるランナーです。マラソン大会の体験レポ、使ってよかったグッズ紹介、大会のエントリー情報をまとめています。